「原発と人権」という会議に分科会報告を依頼されて参加してきた。その分科会の報告の中で被災者や避難者の活動や要望を「政治的」とレッテル貼りされるという話を聞いて、いろいろ考えた。
というのも、少し前には「NPOと政治」はちょっとしたその業界での論点で、私はあまりその議論に参加していないけど、何度か頼まれて話をしたことがあったから。政治的と言われることをおそれる傾向はNPO全般にあると言えばある。私は、自分たちの活動が政治的であると思っているので、そのことを公言するけど、この立ち位置はさまざまな人に言わせると、行政や政治への依存関係がないから、そこを割り切っているからということのようだ。
なぜ自分たちを政治的と思うかと言えば、至極単純な話。どんな言論や活動であれ、何かを肯定したり否定したり、支持ししたり批判したり、あるいは異議を唱えたり、抗議をしたり、擁護したりというものだけでなく、社会問題を解決したいという事業も、すべて自分の立ち位置からの意思表示で、それは政治的なことだから。NPOの活動も、アドボカシー的な活動をしているところは政治的であるし、サービス提供など事業型のNPOもその事業が社会にとって必要だという認識があるから活動しているのだから、それも一つの社会の課題を解決するという政治的な営みになる。
情報公開クリアリングハウスの活動は、だから政治的な営み。ただし、明確に別のことも認識していて、それはnon-partisan(非党派)であること。これが、個人的には明確に自認していること。そうはいっても、NPOの活動や主張が党派性を帯びて見えることがあるのは、NPOに党派性があるというより、NPOの政策や問題意識を理解する党派が限られているからだろう。逆に、幅広い政治勢力に支持されるようになれば、NPOの活動や要請は超党派の取組みになり、党派性があったものもそう見えなくなる。結局のところ、NPOの活動や主張を受容する側の党派の幅によって、色が変わって見えるということだろう。それは政治の問題意識や課題認識を反映した結果なので、NPO自身の党派性ではないと理解すべきだと思う。
過去にNPO界隈で議論の対象になっているのは、NPO法人に対して「政治上の主義を推進し、支持し、又はこれに反対することを主たる目的とするものでないこと。」(NPO法2条2項2号ロ)と規定されていること。「政治上の主義」というのが結局何かということになるけど、「主義」だから単に政治的であることはこれには当たらないだろう。政治上の主義=政治的と幅広く取ると、ミッションに基づきできるNPOはみんな規定に引っかかることになってしまう。社会課題を解決しようとしているのだし、ミッションがあるから。
なんてことを考えると、やはりよく英語で見かけるnon-partisan(非党派)が重要で、活動や主張が政治的か否かは本質的な問題ではないのではないのか。海外の市民社会組織の説明でよく見る、non-partisanという自認の説明は、やはりとても意味があることなのだ思う。
だから、何か意思表示をしている人を政治的とレッテル貼りをするのは、そのレッテル貼りをしている人たち自身も政治的であるという自己矛盾を抱えている話になる。ただ、こういうところで、正当な意思表明をしている人々が消耗せざるを得ない現実があるのも、事実。いつまでもこういうことをしていると、困っている人は困っている人らしく殊勝にしていていうことを聞けば、助けてあげよう的な善意でしか物事が動かなくなるので、サービスや支援の切り下げは下げ止まらなくなる。これが、今、あちこちで起こっている問題なのかもしれない。(三木由希子)