[レポート] 財務省森友学園問題の決裁文書改ざん交渉記録廃棄報告書を読む

 財務省は6月4日、一連の文書改ざん、交渉記録廃棄問題についての内部調査報告書を発表しました。情報公開クリアリングハウスは、森友学園交渉記録情報公開訴訟の原告です。まさにこの問題は、当事者。報告書を熟読しましたので、報告です。

 なお、これは会員向けに配信している「メール版情報公開DIGEST」40号(2018年6月5日発行)から転載しました。

 決裁文書の改ざん等に関する調査報告書について(2018年6月4日)

 決裁文書に関する調査について(2019年3月~5月公表)
  ※5月23日公表の改ざん前決裁文書、交渉記録文書も掲載されています

 

報告書の印象

 報告書が総括していることをまとめれば、交渉記録の廃棄も決裁文書改ざんも、国会等でさらなる質問につながり得る材料を極力少なくすることが目的(34ページ)、国会審議の紛糾を懸念が動機(34-35ページ)」ということになります。

 交渉記録の廃棄も決裁文書改ざんも、2017年2月17日の首相答弁以降に行われており、この「質問につながり得る材料」には、首相やその夫人の関与の有無が当然に含まれ得るわけですし、政治家関係者からの照会状況などもその部類に入りますので、結局政治を守るために嘘を重ねたことがにじみ出ているものにはなっています。そして、前記の総括に沿って報告書の説明が並べられているというのが、報告書全体を通じての印象です。

 交渉記録の廃棄と決裁文書の改ざんはどのように説明されているでしょうか。

 

国有地処分の交渉記録の扱いがそもそもおかしい

 報告書を読んでいくと、森友案件に限らずそもそもの交渉記録の扱いがおかしい説明が出てきます。

 報告書の中の「応接記録の元々の保存状況」で、交渉記録一般について事案終了後に廃棄という認識を示しつつも、「個別の国有財産の管理処分に従事する職員は、一般に、当該国有地について外部からの照会等を受ける場合に備えて、過去に紹介等があった際の応接録のうち後日必要になるかもしれないと考えたものを手元に保存しておくことが多い」(14ページ)との説明があります。

 これを素直に読めば、交渉記録は行政文書として廃棄しても、職員個人が手持ち資料として持っている状態が一般的となっていることになります。森友案件に限らず国有地の処分について照会等は、職員が個人的に照会をされるのではなく、組織として照会を受けるにもであるにもかかわらず、個人の手控えに頼って対応していることになり、その状態がそもそもおかしいということになります。

 ただ、見方を変えると、業務上個人の手元に残す必要があるような交渉記録は、事案終了後に廃棄できるものではないという、文書の性質に対する実務レベルの認識が示されているとも読めます。

 このようなはざまで、交渉記録は事案終了後、行政文書のようで行政文書と言われないようなあいまいな形で、必要なものが保存されている実態があることが、交渉記録の提出・公開を求められたときにどうとでも説明ができる状態を作っているとも言えます。

 実際、報告書は続いて近畿財務局の職員も「一連の応接録を保存していたほか、その電子ファイルをサーバ上に保存していた」(14ページ)としていますが、行政文書として保存していたという説明ではなく、「手元資料」とした一文を受けて、「近畿財務局の職員も」としているところは、文書の状態を非常にあいまいにしている印象です。

 

森友学園案件はいつ事案が終了したのか?

 森友案件は、2016年6月に売却契約が締結されているものの、10年の分割払いであり、そもそも事案として終了していないのではないか、ということが指摘されてきました。報告書は、これについて契約締結日である2016年6月20日が事案終了と考えた職員がいる一方で、当面は保存し続けるのだろうと考えていた職員もいて、認識が統一されていなかったとしています(14ページ)。

 実際には、契約締結とともに事案終了という認識が国会で答弁されてきましたが、これは2017年2月以降に財務省理財局において、2016年6月20日と整理されて近畿財務局にも伝達していた(15ページ)とされているので、問題化してから作られた事案終了日だったことがわかります。

 ただ、実務レベルでは認識が分かれていたということなので、結果的に行政文書として残っていた交渉記録があるということになるのだろうと思います。

 

報告書から欠落している、本省と近畿財務局などの打ち合わせ記録

 交渉記録の廃棄は、政治家関係と森友学園関係で経緯が分けて説明されていますが、欠落しているのが、近畿財務局と財務省本省、近畿財務局と大阪航空局、近畿財務局と大阪府や豊中市との間の打合せ・協議等の記録です。5月23日に財務省が公表した一連の文書には、近畿財務局と外部の交渉記録に加えて、本省との打合せ記録が含まれていました。

 情報公開クリアリングハウスが2017年2月27日付で近畿財務局に、同3月2日付で財務省に情報公開請求した中には、近畿財務局と本省・大阪航空局・大阪府・豊中市との協議・打合せ記録が含まれており、不存在と決定されていました。これらは5月23日に公表された交渉記録には一部含まれていましたが、今回、事実関係が明らかにされていません。

 

政治家関係者との交渉記録の廃棄

 2017年2月17日の首相答弁を契機に、首相夫人の名前の入った文書や、政治家関係者からの問い合わせ記録の確認や扱いの相談が始まります。2月21日には、政治家関係者等からの各種照会状況リストの作成が理財局から近畿財務局にあり、リストが送付されます(15ページ)。

 これをもとに、理財局総務課長が理財局長に報告し、この時に、理財局長から「応接録の取扱いは文書管理のルールに従って適切に行われるものであるとの考え」が示され、それを総務課長が「政治家関係者との応接録を廃棄するよう指示されたと受け止め」たことで、国有財産審理室長と近畿財務局管財部長に伝達し、紙文書、電子文書の廃棄がされたとしています。ただ、本省の理財局では共有フォルダの電子文書は廃棄されずに残ったものも「存在した」としています(15-16ページ)。

 この「残ったもの」について、報告書は注で「平成29年5月のシステム更改前に使用されていたコンピュータからも、可能な限り電子ファイルの復元作業を行」ったとし、これについては5月23日に公表したとしています。共有フォルダに電子文書が保存されていたとしていますので(16ページ)、「コンピュータ」とは財務省LANシステムのサーバであろうと推測できます。2017年4月以降、サーバに残っているデータの復元ができるか否かが問題になっていたので、何から復元したのかは重要で、当時の説明との整合性が問われます。

 また、この廃棄が近畿財務局、理財局内でいつ行われたのか、という時点が示されていません。報告書では2月21日という日付がありますが、これはあくまでも国会議員団との面会があった日として示されているにすぎず(15ページ)、いったいいつ廃棄したのかについては、明らかにしていません。

 情報公開クリアリングハウスの訴訟との関係を考えると、いつ廃棄したのかはかなり重要な情報で、情報公開請求を受け付けて以降に廃棄していると、公文書管理法施行令の規定に明確に違反したことになります。

 

森友学園側との交渉記録の廃棄

 2017年2月24日に森友学園側との交渉記録は廃棄済みと当時の佐川理財局長が国会で答弁した時点で、理財局総務課長、国有財産審理室長は交渉記録が残っていることを認識していた一方で、理財局長はそのことを知らず廃棄されているはずという認識だったとしています(17ページ)しかし、政治家関係者との交渉記録については、2月21日以降のどこかの時点で残っていることを知っていたというのが前記の説明なので、いったいどのような認識であったのか、非常に疑問です。

 つまるところは、佐川氏の理財局長時代の答弁だけでなく、2018年3月に行われた証人喚問の時の証言(交渉記録は1年未満保存であるという規則の説明をしていた)ということと矛盾をしない説明をここでしているのではないか、ということが推測されます。証人喚問での証言は、偽証に当たると刑事訴追されることもあるので、ここは交渉記録が残っていることを知っていたとは「書けなかった」と読むべきかなと思います。

 2月24日答弁後、理財局長は答弁を踏まえて、理財局総務課長に「文書管理の徹底についての念押し」をし、これを「残っている応接録があるならば適切に廃棄するよう指示さてたものと受け止めた」としています(17ページ)。ここも、総務課長がそう受け止めた、という話にして、佐川氏が交渉記録が残っていたことを知っているか否かが確定されるのを避けていると読めます。

 この「受け止め」を、総務課長が近畿財務局管財部長に伝達し、近畿財務局内で交渉記録の廃棄が行われます。政治家関係者の交渉記録では、廃棄について指示があったかのような書きぶりですが(16ページ)、森友学園側との交渉記録では、管財部長が「職員に対して、森友学園案件に係る応接録を廃棄せよ、といった具体的な指示までは行わなかったが、適切な文書管理を行うべき旨を繰り返し周知した」と説明しています(18ページ)。

 わざわざこのような説明をしている点は、大変気になります。近畿財務局には、情報公開クリアリングハウスとして2月27日付で情報公開請求、3月1日に受け付けられているので、何か関係があるのかと勘繰りたくなります。例えば、森友学園交渉記録情報公開訴訟では国賠請求も行っており、明確に部長が指示していると、部長に国賠上の責任が明確に発生するので、責任が誰にあるのかをあいまいにするということなどが想像できます。

 また、理財局国有財産審理室長にも総務課長から「文書管理のルールに従って適切に行うよう話があり」、室長からもこの趣旨が職員に伝えられたものの、「文書管理を適切に行うべき旨が周知されたという認識はあっても、応接録を速やかに一斉に廃棄すべき旨の指示を受けたとは認識していない職員もいる状況」であったとしています。結果として、共有フォルダに保存されたままの交渉記録が残ったとしています(18ページ)。

 この近畿財務局では廃棄せよと具体的な指示を行わずに適切な文書管理で廃棄が徹底され、国有財産審理室ではそうではないというのは、説明として極めて不自然です。やはり、近畿財務局では、管財部長から直接的な廃棄指示があったのではないかとみるべきではないかと思います。

 なお、近畿財務局内で交渉記録の廃棄が行われたものの、職員の判断で手控えとして手元に残されたものもあったとし、これが5月23日に財務省の、行政文書としては存在せず、個人の手控え等として交渉記録があったとの発表を受けてた説明になっています。一方、理財局内に残ったものは、共有フォルダに保存されていたので行政文書に該当すると思われますが、これが前述の「サーバに残っていたデータの復元」と関連するものなのか、説明がないので不明です。

 この森友学園との交渉記録も、2月24日の答弁以降になされたことはわかるものの、具体的にいつ廃棄がなされたのかは示されていません。すでに述べた通り、情報公開クリアリングハウスの訴訟との関係が非常に気になります。

 

適切な管理=廃棄は新たな霞が関用語?

 「適切な文書管理」が廃棄を意味するというのが、交渉記録廃棄の経過の特徴的な説明です。保存期間満了時には、廃棄か移管(あるいは保存期間延長)の措置をとることが、公文書管理の基本的な仕組みになりますが、国会で問題化している文書を「適切な文書管理」として廃棄することが、「適切な文書管理」ではないことは改めて言うまでもありませんし、本来あり得ないことです。

 ただ、同種の説明は、防衛省での南スーダン日報問題の特別防衛監察結果でも繰り返し出てくるものと類似しています。情報公開請求に対する日報の不存在決定後も、陸自内では情報共有のための掲示板に日報データ残っていたのを、自民党行革推進本部の会議で問題にされてから、陸自内で掲示板の適切な管理を指示して日報を削除させています。さらにその後、陸自内に残っていた日報も適切な管理を指示して廃棄させていたことが、2017年7月に公表された特別防衛監察の報告書で明らかにされました。

 基本的には、財務省と防衛省は同じ構造の説明をしているわけです。

 行政組織内で、適切な文書管理が廃棄や隠ぺいを意味するものと理解されているという説明には、驚くほかありません。「廃棄」と直接言えない場合は、「適切な文書管理」というというのは、新しい霞が関用語でしょうか。

 

廃棄されずに生き残った交渉記録の行方

 交渉記録は、2017年3月以降の刑事告発の動きが報道され、情報公開クリアリングハウスによる5月の証拠保全申立てに至り、廃棄はそれ以上していないとしています(19ページ)。ただ、情報公開請求は3月初めに受け付けているわけなので、その時点で廃棄を止めないと本当はアウト。あまり言い訳になっていない説明がされています。

 交渉記録については、残っているものがあることは内部で把握されながらも、国会審議等、会計検査院の求めに対して、交渉記録の存在を回答してきていません。会計検査院に対しては、職員個人の手控えも含めて資料提出の要請があったにもかかわらず、共有フォルダ内の電子ファイル構成の資料を提示して、交渉記録の存在には触れずに済ませたとしています(19ページ)。

 この交渉記録が残っていることについては、人事異動で理財局に転入した幹部職員には「実態は説明されなかった」としています。国会で答弁に立っている太田理財局長らは知らなったということのようです。

 

決裁文書の改ざんがはじまる

 決裁文書の改ざんは、理財局国有財産審理室長から総務課長に、政治家関係者の照会状況の記載があるものがあるとの問題提起があったことから始まっています。理財局が持っていた決裁文書は、改ざんされた14件のうち1件だけで、「特例承認」に関するものです。電子決裁されて一元的な文書管理システムで保存されていました。この決裁文書に、照会状況等の記載があることに気づいた、ということです。この問題提起は2月21日の国会議員団との面会を受けてのことで、交渉記録で政治家関係者からの照会等があったことについての確認が始まった時期と一致しているようです。

 このことは理財局長に速やかに報告されているものの、「文書の位置づけ等を十分に把握しないまま、そうした記載のある文書を外に出すべきでなく、最低限の記載とすべきであると反応した」とあります(24ページ)。決裁文書だということを説明しなかったということでしょうか。ここも、佐川氏の証人喚問での証言と関係がありそうです。

 この理財局長の反応を受けて、総務課長と国有財産審理室長は「記載を直す必要があると認識し」、国有財産企画課長にも共有されたとあります(24ページ)。この認識を前提に、政治家関係者からの照会状況等が記載された経緯部分の削除の具体的作業が、国有財産審理室内で行われたとしています。しかも、2月26日の日曜日に休日出勤をして行っていたという…。

 この改ざんした決裁文書は、電子決裁され一元的な文書管理システムに登録されているので、登録・保存されているものと差し替える作業が必要になります。しかしその処理が改ざん当日はわからず、文書管理担当者権限を設定された職員のアカウントであれば文書更新ができること知って4月4日に、権限のある職員にログインをさせて、差し替え作業は改ざんに関与した職員が行ったとされています(25ページ)。

 近畿財務局が保管していた決裁文書は、理財局で改ざん作業が行われた2月26日と同じ日、関連する特定真正の決裁文書の改ざん作業を、休日出勤を要請して近畿財務局の職員に指示して行われています(24-26ページ)。

 

佐川氏の主導性を明示的にした記載がはじまる

 ここまでは政治家関係者からの照会等の記載内容があること受けて行われた経緯の改ざん経緯ですが、各種決裁文書の公表が求められたことで、さらに質問材料となりかねない内容についての改ざんが2月27日以降始まります。きっかけは、理財局長への報告とされています。記載内容の報告を受けた理財局長が、「このままでは外に出せないと反応」したことで、「記載を直すことになるとの認識が」職員間で共有されたとしています。しかし同時に、理財局長から総務課長、国有財産企画課長に担当者に任せずしっかり見るように指示があったともされています。「外に出せない」という反応でなく、改ざんについて明確に指示があったのではないかと思われます。これ以降の改ざんについては、当時の理財局長の主導性が示された報告書になっているのが、一つの特徴です。

 改ざんは3月2日の参議院予算委員会で決裁文書の提出要求があったことを受けて、以降、近畿財務局から理財局国有財産審理室への決裁文書の送付を依頼し、PDFファイルが理財局に送付され、理財局中心に改ざん箇所の検討を行ったとされています(27ページ)。そして、3月8日に、改ざんを終えた決裁文書1件が国会に提出されていました。

 この改ざん作業に近畿財務局の職員が強く反発し、理財局と近畿財務局の間で近畿財務局ではこれ以上作業をさせないとしつつ、理財局が国会対応の観点から作業を行うなら、「一定の協力を行うものと整理された」としています。この段階で、完全に近畿財務局が作業から外れたわけではないことがわかります(27-28ページ)

 3月20日の祝日に「売払い決議」の改ざん内容について、理財局長を含めて議論を行っており、この時点で、国会答弁を踏まえた内容とするよう指示もあったとされています。遅くともここまでに佐川氏が改ざんを認識していたとしていますが、前述の通り2月27日以降に「しっかり見るよう指示」をしているわけですから、もっと早く把握していたであろうことは、容易に推測がつきます。

 こうした理財局中心の改ざんに、近畿財務局内で強い反発があり、このことは「強い抵抗感があるとの状況報告」が、4月上旬に理財局長にもされていました。しかし、理財局長は必要な改ざんをする必要があるとの反応で、理財局で改ざん案を作成し、近畿財務局に改めて送付をしています(29ページ)。

 理財局は決裁文書のPDF版を持っているにすぎず、実際の決裁文書の原本は近畿財務局にあるわけです。改ざん案を理財局が作っても、最終的に改ざん作業や原本からの差し替え作業を行うのは、近畿財務局になることには変わりなかったわけです。

 4月8日に理財局の指示を踏まえた作業を行ったのは、近畿財務局の管財部次長とされています。この4月上旬は、会計検査院の近畿財務局への実地検査の開始時期で、4月10日に会計検査院の検査対応を行ったとされています(29ページ)。これに文書改ざんを間に合わせたわけです。

 

大阪航空局のもつ決裁文書も改ざん文書に差し替え

 2017年4月下旬、国交省大阪航空局から会計検査院に資料提出の連絡があり、売却国有地の持ち主だった大阪航空局に渡していた売却関連のみ改ざんの決裁文書の差し替え作業を、近畿財務局の職員が出向いて行ったとされています。しかし、大阪航空局は、差し替えられた決裁文書ではなく、別途準備していた改ざん前の決裁文書を提出していたため、のちに、財務省提出の決裁文書と異なっていたという既報の問題が出てきたわけです(32ページ)。

 この会計検査院に異なる決裁文書が出されていたという以前の報道から、さすがに他省庁に渡した決裁文書の写しまで差し換えはできなかったのだろうと思ったのですが、差し替え作業を行っていたということは、驚きです。

 

財務省の総括の問題点

 こうした事実関係の上に、冒頭の総括を行っているわけですが、そこでの説明で深刻だと思う点があります。

 それは、決裁文書の改ざんについて、

    ・決裁に必要ない情報が多く含まれており、決裁内容そのものでもなく、虚偽の内容を追加せず情報を削除したので、決裁の本質的な内容が変わらず許容範囲だと考えていたということ

    ・決裁権限を有する職員が決裁内容を変えない範囲で改ざんを行うことはぎりぎり許される対応

と考えていたとされていることです(37ページ)。この改ざん(職員の認識としては書き換えということになる)が許容範囲ととおってしまっていたことに、ただただ驚くばかりです。

 また、「一連の行為の評価」はもっと財務省の状況認識としては深刻であります。

 財務省の評価は、国会に改ざん文書を提出したことを「不適切な対応」、改ざんも公文書管理法の趣旨に照らして「不適切な対応」、交渉記録に関する国会対応も「不適切な対応」、交渉記録の廃棄も「不適切な対応」、情報公開請求に対して不存在決定としたことも「不適切」としており、「不適切であった」ことしか認めていないということです(38-39ページ)。

 特に、交渉記録の廃棄については、「保存期間が終了した応接録自体は法令に基づく取扱いであり」、通常であれば問題ないが、国会審議で問題になった後の廃棄が不適切という認識です。通常は、こうした行動は「情報隠ぺい」と言います。

 さらに、情報公開請求への不存在も不適切。しかし、この交渉記録の廃棄の時期次第では、前述の通り、情報公開クリアリングハウスの請求受付日との関係で、不適切どころではなく明らかに公文書管理法施行令に違反する行為です。いつ廃棄したかという時点をこの報告書では明らかにしないことで、違法ではない、あるいはこの先、違法行為はなかったということになるのかもしれません。

 つまりは、刑事告発は不起訴になり、内部での懲戒処分は「違法」ではなく「不適切だった」と総括することで、この先「違法」と言われないように報告書自体にさまざまな伏線が埋め込まれているようで、個人的には大変不愉快であります。こういうものには、かえってやる気が出てきてしまうのが、訴訟当事者。ここは、情報公開訴訟と国賠請求で、報告書があいまいにしたことを徹底して明らかにしていきたいと思います。(三木由希子)

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