[ブログ] 改正行政文書管理ガイドラインの徹底が意味することはきれいな話ではない

 森友文書改ざん問題、加計学園での愛媛県文書問題、PKO日報問題とさまざまな問題が出てきて、2017年12月に改正した行政文書管理ガイドラインを引き合いに、公文書管理の徹底と政府から国会でも答弁されている。

 なんとなく、公文書管理の徹底と言えばよい話のように聞こえるが、何をどう徹底するかでまったく意味が違ってくる。例えば、あちこちから日報が見つかっている状況は、保存期間を満了しているにもかかわらず文書を保有し続けていることを問題とすれば、「廃棄」の徹底、ということになる。

 もともと、公文書管理の徹底の議論の中で、保存期間の延長は最小限にすべきという議論があり、それを強く指摘する専門家の意見もあるので、議論の仕方を間違うと、日報問題の霞が関的教訓は、とにかく徹底廃棄、ということにもなりかねない。管理の徹底が何を意味しているのかを、よく見なければ行政文書が消えていく体質を強化することにもなってしまう。

 もっと問題なのは、改正行政文書管理ガイドライン。2018年4月からガイドラインに基づいて各行政機関が行政文書管理規則を改正しているが、そこで新たに規定されたのが、文書の正確性確保の措置だ。ガイドライン改正議論段階から、情報公開クリアリングハウスはこの正確性確保の措置については反対してきた。簡単にどのような措置が講じられるようになったかというと、以下のようなもの。

(1)政策立案や事務事業(別表に掲げられているもののみ)の実施の方針等に影響を及ぼす打合せ等の記録は作成

(2)文書の政策性を確保するため複数職員で確認+文書管理者(課長級)の確認、さらに上級の職員からの指示で作成している場合はその職員が確認する

(3)省庁間を含む外部の者との打合せ等の記録を作成する場合は、原則相手方に確認等をする(確認をしないで作成した場合はそれがわかるように作成)

 この内容が、各行政機関の行政文書管理規則に規定されている。(1)は打合せ記録の作成義務を定めているので良いのだが、(2)と(3)が問題。行政文書が基本的に課長級の確認を経たものに手順をもって制限することになりかねないことと、打ち合わせの記録を相手方の了解を得る手順を経ると、相手方から了解を得やすい内容に丸めた記録しか残らなくなる可能性があるからだ。例えばどういうことが起こるかというと、

加計学園問題での文科省文書で内閣府藤原次長と打合せの概要では、「官邸の最高レベルが言っていること(むしろもっと激しいことを言っている)」と記述されているものを、藤原次長に内容の確認を求める

ということになる。常識的に考えれば、こういう記録は残らないだろう。

 もともと、このガイドラインの改正部分は加計学園問題の文科省文書対策として設けられたもの。文科省文書については、①内容の正確性に欠けるうえに言っていないことが書いてある、②個人文書が共有フォルダに間違って保管されていた、というのが政府の問題認識。

 そこで、①の対応として文書の正確性の確保の措置が設けられ、②については各行政機関で定めるファイル保存要領で、共有スペースに行政文書として保存する場合は課長級の確認を経るという手順を設けた。これがガイドラインの改正で行われたこと。ただし、加計学園問題では内閣府側にまったく記録がないとされていたことはさすがに筋が悪いと思ったと見えて、打合せ記録の作成は義務付けるというところにはなったが、正確性の措置も講じることになったわけだ。

 今、政府の言っている公文書管理の徹底には、こうした措置を徹底することも当然含まれている。

 また、国家戦略特区諮問会議ではこのガイドラインをさらに厳密化して、この3月に「国家戦略特別区域基本方針」に以下の内容を入れ込んでいる。

諮問会議及びWG以外の場において内閣府及び規制所管府省庁が調整を行った場合であって、当該調整により規制の特例措置の実現に向けた議論に係る重要な変更等が生じ、当該調整の結果を明らかにしなければ意思決定に至る過程の検証が困難になると認められるときは、内閣府又は規制所管府省庁のいずれかが当該調整を行った相手方へ申し出ることにより合意議事録を作成することとし、この申出を受けた相手方は、誠実に対応しなければならないものとする。

 「検証が困難になると認められるとき」とは一体何が該当するのかよくわからないところがあるが、該当する場合は記録の一本化をすることになる。また、これに該当しない場合も、規則に定める正確性確保の措置が取られることになる。この基本方針に入った内容は、昨年12月時点で梶山大臣から諮問会議に出されたペーパーの内容そのもので、梶山大臣は公文書管理担当大臣でもある。

 一昨日明らかになった加計学園問題の愛媛県文書のようなものは、ここに直接含まれていないが、この先特区について省庁以外の外部とのヒアリング以外での協議や打ち合わせについては、議事録つくるなら確認させろ、と内閣府が言いだしてもおかしくないと思う。

 もともと、打ち合わせの記録はそれぞれが残しておけばよいという話でよいはず。所掌している範囲が異なるのであるから、それぞれの必要性で残せばよい。加計学園問題は、内閣府側に記録がないことが、言った言わないというレベルの話になっているのであるから、解決策はそれぞれが作成するのが正しい。

 加えて、首相や政務三役、幹部級職員からの指示や要請などが記録されていないことも、言った言わない状態の原因。記録がない=指示がないという構図で今は議論されているが、他の事柄での指示や要請等がきっちり残されている中で、その記録がありません、という話でなければ、これも説得力はない。この問題の解決は図られず、むしろ行政側に記録させる範囲を差し障りのないものにする、記録される内容を管理しやすい方向に公文書管理法は進んでいる。それは、政府にとっての加計学園問題の教訓が反映された改正がガイドラインで行われたということでもある。

 今回のさまざまな問題の中で、森友学園問題、加計学園問題での教訓が、やはり詳細記録や後でもめそうな内容は記録に残さない方が良い、ということになりかねない状況の中、公文書管理の厳格化とは聞こえがいいが、その言葉で丸めてしまうのは問題。公文書管理法の改正やガイドラインの改正がこの先なされるとしても、原因と解決のあっていないが、何かした感じだけ演出されると大変厄介。

 公文書管理の厳格化という文脈で、手間や負担を増やすだけの仕組みを入れると、記録に残さない方が良いというインセンティブを強化するだけ。労力を増やすのではなく、労力が合理化され、適切な管理が確保できるような仕組みや運用も考えないと、良い方向への変化になかなかつながらないように思う。(三木由希子)

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