2004年のイラク人質事件は検証されていたのか?




 2015年1月、2月に起こったISISによるイラクでの日本人人質・殺害事件。危険地域への渡航や、日本の安全保障・外交政策と絡んでいるところが、2004年のイラクで起こった3件の人質事件、うち1件は殺害事件となったときとの既視感があった人もいるのでは。

 2004年は、3件の人質事件が発生。1件は3名が1週間ほど人質になり、途中で2名さらに人質となりました。3名が解放されて間もなく2名も解放されました。その半年後、1名の非本陣が人質となり、殺害されました。1件目の人質事件では、犯行グループからイラクに駐留する自衛隊撤退要求が、3件目の事件では自衛隊の撤退要求と殺害予告がなされ、後者はそれが実行される結果となりました。

 当時の自己責任論を覚えておられる方も多いかと思います。危険地帯に渡航した個人の問題に焦点が当てられるため、いつも議論の本質が見えなくなることがあります。日本は世界で起こる紛争への武力による対応や戦争を時には支持し、後方支援し、「終結」後に現地に自衛隊を派遣するという政策選択を行うことが、現実です。こうした政策選択を行っている政府が、その結果起こり得るリスクとして、過去の人質事件をどのように検証していたのか、情報公開請求をしました。



内閣官房は不存在、外務省と警察庁は文書有り

 請求は、内閣官房、外務省、警察庁に行っています。内閣官房は国家安全保障局、内閣副官房長官補(危機管理、外政担当両方とも)は、2004年の人質事件に関する件章頭の情報は持っていないため、「不存在」となりました。今回の人質事件を受けて、情報を収集したり、政府内の資料を集めたりで何か持っているかもと思ったのですが、何も持っていません、ということでした。

 外務省は、1件につき2枚程度の経過をまとめたものが存在。全部公開されましたが、「検証」という類の文書とは違い、公表されているような事件の経過をまとめたものでした。外務省は、実質的な対応過程についての検証はしていないということがわかりました。

 警察庁は、部分公開となり、外務省よりはボリュームのある文書が出てきました。「イラク邦人人質事件(総括)」「国際テロ緊急展開チーム(TRT)の現地活動結果(総括)」が1件目の事件のもの、3件目の事件は「在イラク邦人人質事件の概要と警察の対応について」などが特定されました。一応、「総括」という形の取りまとめは行っていることがわかりましたが、内容は多くが不開示。人質の氏名も、外務省は公開、警察庁は不開示と判断が分かれました。また、警察庁は捜査機関として捜査をしているので、人質だった人からの聴取などもしていますが、内容は不開示。TRTの活動なども当然のように不開示。

 日本政府の政策選択が脅迫に使われるという点で、2004年も2015年も共通する点があるとも言えますが、2004年は何の教訓にも、検証も、それを踏まえた対応もしていなかったということのようです。



警察庁から都道県警への指示

 警察庁の文書の中で目に留まったのは、国内テロ対策に係る警察庁から都道府県警への指示です。

 1件目の人質事件では、「国内におけるテロ等の未然防止のための情報収集及び警戒警備の徹底」が課長通達として出されたとの記載があります。3件目の事件では、「イスラム過激派の動向等に関する情報の収集に努めるよう、警察庁から都道府県警に指示した」との記述があります。都道府県警がイスラム過激派の動向等に関する情報収集とはどんなことを?と思いましたが、こういう指示が、2010年の警視庁のイスラム教徒監視情報の流出事件のもとになるような、個人情報の収集を強化しているのかもしれないと推測できます。

 人質事件が、国内治安対策で特定の宗教の信者を監視する、あるいはそれを強化するきっかけになっている。それが現実味のあることだと考えらせられる内容です。

 ともかく、2004年のイラク人時事事件は検証されず、2015年の事件の時も内閣官房ではまったく顧みられることもなく、安全保障政策の中では勇ましく人質救出のために自衛隊を、という議論があったことだけはよくわかりました。自己責任論で、人質になった個人に議論の矛先が向くのは、政府自身が自らの対応の検証を厳しくしなくても大丈夫と安心できる材料になっていると言ってもよいかもしれません。2004年当時は少なくとも、それで政府は乗り切ったことが、情報公開請求してみて分かったことでした。(文責 三木)


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