【ブログ】溶け落ちて型におさまる政治

 衆議院の解散を契機に、一度民進党が溶け落ち、選挙という強烈な求心力を前に型になんとなくおさまっていくという、なんともすごい風景の広がる今回の総選挙。

 候補者やその支援組織が戸惑う以上に、有権者はもっと戸惑っている(と思う)。溶け落ちて型におさまって、すっきりしたという感じの人もいるので、悪いことばかりではなかったということなのだろうけど、その熱が広く伝播しているのかはわからない。

 バタバタと選挙をすると、結局よく考えて練られた公約というよりも、急ごしらえの公約らしきものが出てくるので、いずれにしても政権政党はこれまでの継続の延長以外の何ものでもなく、それ以外は準備不足にならざるを得ない(そういえば、マニフェストという言葉はすっかり影が薄くなったな)

 個人的には、政党ごとの政策を見るものの、この間のさまざまな問題を考えると、政策の決め方についてどういう考えを持っているのかで選べるとよいと思っている。「決め方」というと抽象的だけど、政府の問題はプロセスそのものが一部の人に閉ざされていることが、説明責任を欠き、適正性を欠き、検証性を欠く理由になっている。そもそも投票するときに、すべての政策に賛成なんて政党はまずないわけで、方向性で決めたり消去法で決めたりする人も多いし、政策に賛成していても、政策決定をするための詰めをすればそこにはいくつもの選択肢があったりする。

 だから、選挙で多数派を経たからすべてに信任を得ているという政党は、勘違いの独善なので、そんなところは結局は自己都合で自分たちがよければよいという政策決定や意思決定を招きやすいはず。そして、情報公開は重要だが、情報公開さえすればすべてが正当化されるというのも勘違い。自分たちの正当性を強化するためだけの情報公開だとそれは宣伝であり、情報公開をすることで何かをしている気に人をさせるのもよろしくない。情報公開は最終目的ではなく、公開された情報をもとに市民が政策決定に参加をしたり、政府活動を監視し適正化を求めて行くという、全体のプロセスの公開性がなければ十分とは言えない。

 そこで、どうものごとを決めていくのか、という決め方についてどういう考えを持っているのかを、個人的には最も知りたい。そして、決め方をどう継続的、持続的な制度や枠組みにするのかも知りたい。それは、情報公開法や公文書管理法の改正だけでは説明がつかないもの。これらの法改正は私たちとしては実現したいことだけど、ここだけすればよいという発想だとすぐに限界が来るだろう。

 なかなか投票前に知ることの難しいことでもあるけど、そういうことを意識した発信も候補者や政党にしてほしい。昨今の問題は、このものごとの決め方の問題が、情報公開や公文書管理を通じて露見した、ということのはずなのだから。(三木由希子)

Print Friendly, PDF & Email
Tags: