毎日新聞の「特定秘密保護法 会計検査院「憲法上、問題」指摘」は、特定秘密保護法の一つの本筋の問題にかかわるとても良い記事。情報公開請求でこうしたことが明らかになることはとても重要。
特定秘密保護法の解釈上、会計検査院には法で規定する国の安全保障上の理由でなくても、適性評価なしでも提供ができるように逐条解説上なっているが、一方で、同じ規定では国の安全に支障がある場合は出さなくてもよいということにもなっている。憲法90条は「国の収支支出の決算は、すべて毎年会計検査院がこれを検査し」と定めていて、会計検査院法は実地検査も報告や資料の提出・出頭も国の機関等は応じなければならないと定めている。例外がない。
ここが、国会とは違うところ。国会の国政調査権は憲法では「両議院は、各々国政に関する調査を行い、これに関して、証人の出頭及び証言並びに記録の提出を要求することができる。」とできる規定で、国会法では政府機関が報告や記録の提出を求めたときは応じなければならないとしつつ、一方で求めに応じないこともできるようになっている。会計検査院は例外がないのに、国会にはあるというのもなんだか微妙だけど、とにかく会計検査院の検査には例外はない(とはいっても、内閣官房機密費などのいくつかの省庁の機密費(報償費)類は他の支出証拠とは異なる扱いがされていたりするので、まったく例外がないと言えるのかは判断しかねるところがあるけど…)
報道を受けて思えば、会計検査院が特定秘密に公益上の理由でアクセスができるとされる根拠となる規定が国会に提供する場合と同じ規定になっているのは、国会と会計検査院は法律上の権限が違うのに、同列になってしまっていてそもそもおかしいとしか言いようがない。インカメラ審理を行うからということで、逆に情報公開請求に対する不開示などの不服申し立てを審査する情報公開・個人情報保護審査会などは例外なく審査案件に特定秘密を含む文書があっても、不開示文書の提出を各行政機関に対して求め、例外なく提示を受けることができるようになっている。明確に特定秘密保護法上、そうした規定が設けられている。
審査会は、審査業務以外で特定秘密を利用しないことや、第三者に提示することがないことがそれを認める理由とされているが、そもそも特定秘密保護法は、特定秘密を業務上知得した者に対して、特定秘密にアクセスする権限のない者に開示した場合は、情報漏えいとして刑事罰の対象にする規定を設けている。審査会だろうと会計検査院だろうと、審査業務、検査業務を超えて特定秘密を第三者に開示することは法律で禁じられているのだから、会計検査院が特定秘密にアクセスしても第三者への開示は原則としてはできないということになるだろう。
違いがあるのは、審査会は特定秘密を含む文書が不開示情報に該当しないと仮に判断をしても、答申には行政機関が不開示と判断した情報の中身は書けないし書かない。審査会は、不開示決定を変更する権限はなく、答申を受けて行政機関が決定変更をしなければ、不開示情報を開示することができない。だから、基本的には審査会が特定秘密に係る情報が開示することはないという構造になる。
一方で、会計検査院の場合は、検査の結果特定秘密を含む政府活動に問題があれば、それを指摘するということもあり得ることになる。存在そのものが特定秘密となるような政府活動があるのかどうかわからないが、もしそういう活動で会計検査上問題があった場合に、行政機関は検査結果や指摘事項があることそのものも隠したいところだろうから、行政機関のコントロールを超えて問題が指摘され、特定秘密に関連する情報が開示されることは避けたいだろう。そうすると、別の形でその問題を回避することを考えることになる。だから、国会などと同列の範囲で特定秘密へのアクセスを認めるというレベルにとどめているとも読める。
いずれにしても、情報公開・個人情報保護審査会は散々、特定秘密保護法の国会審議で、特定秘密であっても情報公開請求はでき、不開示になっても審査会がインカメラ審理で特定秘密文書を見て判断することになっていることを、特定秘密のチェック機能の一つのように答弁して便利に使われてきたきらいがある。それは、とりもなおさず公益上の特定秘密の提供先として、審査会を挙げ例外なく特定秘密が提供できると規定していたから。これはこれでなくてはならないものだけど、今となってはとても都合よく使われてきた気がする。
一方で会計検査院に関しては法案の国会提出前に指摘されていたにもかかわらず、特に規定を設けなかったのは、とてもご都合主義な気がする。しかも、会計検査院と内閣官房が協議をしていた期間は、まだ与党との協議の過程で条文の修正がまだおこなわれていた時期のはずで、条文案の修正ができないのではなく、修正がまだまだできたはず。にもかかわらず修正しなかったのは、これを嫌がった行政機関側のどこかがあるということなのだろう。それがどこかが本当は問題。
この一件で、改めて特定秘密や秘密を多く抱えもつ政府活動の監査や監察について従前から持っていた懸念は、その通りだったということだと思った。もともとは、特定秘密やそのほかの秘密の中にある政府活動について、公益通報ができるのかとか、内部の監察・監査のための特定秘密等へのアクセスができるのか、ということが個人的な関心事だった。内部統制の問題として問題意識を持ち、そこからそもそも秘密の多い政府活動については独立した監察や監査をして一定結果を公表するような仕組みができないと、そもそも秘密も減らないし情報公開も進まないだろうと考えていたからだ。要は、監査・監察をされていないところが、一般への情報公開を積極的にするはずがないということだ。
会計検査院の一件は、会計検査院としてどうするかという重大な問題があるが、そもそも政府活動の監査・監察についても議論をしていかないといけないということも改めて思い起こした次第。もっとも、この議論がなかなかできるほど準備ができていないので、むしろ外交・安全保障に関する情報公開請求をして、明確な争点と論点設定ができるものを情報公開訴訟にしていくということを今のところしていて、少しでもくさびを打つ方法を考え、次のステップにしようともくろんでいるところ。ただ、そろそろ別の議論ができるような準備も始める必要があるのかなとも思う。(三木 由希子)